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遠藤喨及プロフィール
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ
指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、
さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。
1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界
各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。
また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各
センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助
NPOユニ事務局等、さまざまな精神文化の発信拠点となっている。
著書に、「<気と経絡>癒しの指圧法」(講談社+α新書)、「気の経絡
指圧法安らぎのツボ実技篇」(講談社+α新書)、「気心道」(だいわ文庫)、
「タオ指圧入門」(講談社α文庫)等があり、いずれも数か国語に翻訳出版
されているほか、五カ国語で出ているDVDブック「気心道とタオ指圧」(タオ
出版)、DVD「<気と経絡>タオ指圧」(医道の日本社)等の映像がある。 一方、音楽家としては、ミディレコー
ドよりライアル・ワトソン推薦版である「ウォーター・プラネット」を含む、五枚のソロアルバムをリリースし、内外の
テレビやラジオでオンエアーされている。また、自ら率いるバンド、遠藤りょうきゅう& LAMANI でもCDアルバム
「アミリタ」を発表し、ライブ活動を行っている。
遠藤喨及個人ブログページ http://endo-ryokyu.com
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第十七回
――さて、「寄り道篇」も終わったことですし、「第16回 住職に聞く」
の続きをお願いしたいと思います。
住職:久しぶりですね。
――住職は22歳のとき、仏さまの実在を体験された。それによって、
心身に驚くような変化が生じたということをお聞きしました。
住職:そうなんですよ。心が変わっただけでしたら、単なる自分の
思い込みだと思ったかも知れません。でも、いつもガチガチに緊張して、
堅く不快だった身体(存在感覚)が変わったんです。
――どういう風にですか?
住職:脱力して、柔らかく快い身体(存在感覚)になったんです。
そしてもちろん、それに伴うかのように心も変わりました。
身体が変わったんでは、さすがにアマノジャクな僕でも、
否定のしようがありませんでした。
――なるほど。それに加えて、“無意識に人に対して、気の作用を
及ぼすようになった”とも、おっしゃいましたが、実は私、その話に、
とても興味があるんです。
住職:うまく説明できるかなあ、、、。とにかく、その頃の自分は、
実在している如来(仏)さまの影響を、日常的にがんがん受けている
わけですよ。
――はい。
住職:ふわーっと、大霊の作用を受けて、全身の細胞がジンジンと
気持よくなったり、、、。
身も心も、温かく融けてしまったようになったり、、、。
それから、喜びも悲しみも融けてしまいまして、、、。
――へぇー?
住職:喜びも悲しみも溶けると、ただ心が温かいだけなんですね。
ヘッセの「春の嵐」という小説に、「喜びと悲しみはーつのハーモニー」
というような言葉がありました。
――あぁ、あのバイオリン弾きの話ですね。
住職:はい。でも、心の深い世界に入ってみたら、喜びも悲しみも
奥ではーつでした。そこには、ただ温かな仏さまの大愛があったんですよ。
――そうだったんですか、、、。
住職:ようするに、びんびんに如来さまの大愛を、日常的に、
からだで実感しているわけです。だけど、こんなこと言語化しても、
あまり意味がないとも思うんですよ。まあ、今はしているわけだけど。
――意味ないとおっしゃると?
住職:今だってせいぜい、“ふあーっと大霊”とか、“じんじん気持いい”とか、
“温かい”とか、まあ、そんなことを言っているだけじゃないですか。
――そうですか。
住職:聞いた人自身が、それを感じるわけではないから、
実感そのものが伝わるというわけではないですし。
――なるほど。
住職:でも、僕としては、こんな素晴らしい世界を自分一人のものに
しておくのは、もったいないから、道場に来て体験してもらいたい、
とは思うのです。もっとも、“道場に来てもらいたい”ということ自体が、
自己矛盾しているような、自己一致しているような、妙な感じがありましたね。
――妙な感じというのは?
住職:集中して修行や伝道に励むことになったのは、道場を去って
放浪の旅に出るため(第十一回/住職に聞く!を参照)だったのです。
矛盾しているというのは、僕が人を道場に連れて来ようとした、
そもそもの動機が、「自分が旅に出るため」だった。それは
自分的な認識としては、エゴなわけですよ。
――はあ。
住職:でも、エゴなんかでは、誰も道場に修行に来ないですよね。
実際のところ、人のために、どんなことでも一生懸命お世話する、というような
利他的な行為があって、それが心の琴線に触れた人。さらにその内の
10人に一人ぐらいが道場に来てくれるかなぁ、という感じです。
――修行に入る人となると、さらに少ないでしょうから、なかなか大変ですね。
住職:でも、そもそも伝道というのは、そんなものでしょう。
キリスト教の宣教師なんかの行為を考えればわかるように。
――それもそうですね。ただ説教したところで、人が来るものでは
ないですからね。
住職:そうそう。
――住職は、そうして利他的に人のお世話をしながら修行した結果、
ひょうたんからコマのような回心体験(宗教体験)を得られたのでしたね。
住職:まったく期待していなかったことでした、、、。
もっとも、それで放浪の旅に出るという人生計画が、変更になったわけでは
ありません。だから相変わらず、自分に課した義務としても、
道場に人を連れて来なくてはならないんです。
――そうかあ。
住職:しかし同時に、自分が味わっている深い安らぎや喜び、
また、仏さまの実在を実感することによって生じる、存在する快さの感覚。
それらを、他の人にも分ちたいという強烈な想いもあるんです。
――そうでしょうねぇ。
住職:でも同時に、“道場に人を連れて来るのは、自分のエゴではないか”
という、心のどこかに罪悪感みたいなものもあるんですよ。
だから、エゴと利他が同居しているような妙な感じで、
それなりに葛藤はしているんです。
――そういう意味だったんですね。
住職:で、自分が行っていた、人に対する気の作用なんですが、、、。
――はい。
住職:それは、「自分の感じている安らぎや喜びを、相手の人の心身に
浸透させる」というものでした。
――へぇー、どんな風にするのですか? ぜひ、もう少し具体的なお話を
お聞きしたいです。
住職:では、次回に。
―続く―
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