聖書を破り捨てた子ども

最愛の祖母との別れ

僕はいわゆる“おばあちゃん子”だったのかもしれないね、その昔。

うちのとなりに母方の祖父母が住んでいて、小学校から帰ると
まっしぐらに祖母のところに行っちゃあ、おやつを食べさせて
もらったり、その日にあったことをきいてもらったりしていたんだ。

祖母とは、こころが通じ合っていたような気がするな。

でも、そんな最愛の祖母と、お別れしなければならない日がきてしまった。
肺癌を患って、呼吸もままならない苦しそうな最期だった。
僕が11歳のとき。

その後の僕の人生は・・・

クリスチャンだった祖母は、僕にだけじゃなくて、まわりの人すべてに
優しく接することのできた人だったと思う。

それなのに、なんであんな苦しんで死んでいかなければならなかったん
だろう?
神様がいるんだとしたら、どうしてこんな残酷なことをするんだろう?
僕のことをほんとうにわかってくれる人が、いなくなってしまったよ!
あんな幸せなときは、もう二度と訪れないんだろうな!
これから何を頼りに生きていったらいいんだろう?

その後の僕の人生は、砂をかむような味気ないものだったよ。
ビデオやDVDみたいに早送りにして、さっさと終わってくれないかなあ
ってずっと思っていた。
ほんのつい最近まで。

お念仏をしていたらこんな声がきこえてきたよ!

この間、和田寺の道場に念仏修行に来ている人に、いま書いたような話
をしたら、こう言われたの。
「あなたは子供のころに、そんな素晴らしい経験をしているんだから、
そのことにまずちゃんと感謝をして、そこから次の段階に進みましょう。
それを心の成長というんですよ!」

思いがけない言葉だった。

そうか!僕は祖母から“人に優しく接すること”を教えてもらってい
たんだ!
それができる豊かな人生を歩んで欲しいという願いがあったんだ!
だからこそ、僕はそれをいただきっぱなしにしてはいけないんだな!

お念仏をしていたら、こんな声がきこえてきたよ。
「もういい加減、与える側にまわったら?
あなたは最初からわかってるくせに!」

なんだかうれしくなっちゃってね。
神様(如来様)にそっぽを向いて生きてきたんだけど、ようやく僕のこ
とを見ていてくれてたんだって気がついて。
なんか照れくさいような、なつかしいような。

なぜか無性に『聖書』が読みたくなって、母にきいてみたの。
「うちに『聖書』ってあったよね。ちょっと読んでみたいんだけど」
そうしたら、こう言われちゃったよ!
「あなたは子供のころかんしゃくを起こして、自分でビリビリに破いて
捨てちゃったんじゃないの!」

祖母が死んで以来、よっぽど神様が苦手だったみたい。
お念仏で、また僕の人生はやり直しになっちゃったよ。
だけど、これはうれしいやり直しだよね!

文/高柳明彦

No related posts.

About creator