数年前、友人から何年かぶりに電話がありました。
その電話で、彼のお兄さんの奥さんが自死したと知らされました。
長いこと、障害のある子供について悩んだ末に、ということでした。
その後、この本に出会いました。
著者クシュナーは米国在住のユダヤ教のラビ。
幼い息子が早老病で、命はあと数年、長くて10年と診断されました。
その間に確実に死ぬ。そんな、どうしようもない結末がわかっている時間を過
ごさなければならない自分と家族と本人。
苛酷な現実への、神に対する恨みつらみがあってもおかしくはない。
それでも神への祈りを続ける意味。
あくまでも“私”が苦しまなければならないことの答を得ようとする意志。
著者はそれこそ格闘します。逃げずに神に問い続けます。
“なぜ私だけが苦しむのか?”
「なぜ私だけが…」という思いは、障害児のケースだけではないでしょう。
私自身、これまでの人生でそうした場面をいろいろ体験してきましたし、目撃
してきました。程度の差はあれ、おそらく誰でもそうした思いを抱いたことが
あるのではないでしょうか、、?
著者はどのような精神的格闘の末に神との折り合いをつけたのか。
一読をお勧めします。
文/長谷川 清
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